当たるからの形成説(阪倉)
主張3件
あたらしを動詞あたるの語基にaと接尾語しが付いた形容詞とみ、「あたるべきものがあたっていない」不当さを 訴える気持を原義に置く。情態言あたらの連体・副詞用法と、平安時代の否定的用法への転換をその展開として説く。
阪倉はあたらしを動詞あたる(当たる)から作られた形容詞とみる(ataru〜atara+si)。すぐれた本質を持つものが、それにふさわしい状態にあたっていない、またはあたらなくなろうとする、その不当さを訴える気持を原義とする。
阪倉の語構成論に立つ分析で、動詞語基にaを添えて接尾語しを付ける型(かなし・やさし・ゆかし)に並べる。 『古事記』上巻「地を阿多良斯とこそ」、『日本書紀』雄略天皇条の歌謡「婀多羅斯枳葦那部の工匠」を 原義の例として引用する。ONCOJの語彙表はatarasiとataruを結ばない。
阪倉篤義 2011 提唱
すなわち、アタル―アタラシ(ataru〜atara+si)という、これまでに見て来たのと同じ型に属する構成の語と考えられる。
- 文献
- 増補 日本語の語源 書籍/平凡社ライブラリー729
- 立場
- 提唱(その出典が言い出します)
- 箇所
- 第二部6「愛惜の思い」の節「アタル―アタラシ」、ダンプ頁314
阪倉は『古事記』仁徳天皇条の歌謡「阿多良菅原」「阿多良清し女」のあたらを情態言とみ、名詞を直接に形容する用法から、「あたら盛りを過してむとか」(万葉集四三一八)のような副詞的用法へ傾いたとする。
情態言の枠組み(research/phenomena/vowel-suffix-nominalization-sakakura.yaml)に依存する分析で、ONCOJはataraを形容詞として立てる。
阪倉篤義 2011 提唱
「あたら菅原」「あたら清し女」の「あたら」は
- 文献
- 増補 日本語の語源 書籍/平凡社ライブラリー729
- 立場
- 提唱(その出典が言い出します)
- 箇所
- 第二部6「愛惜の思い」の節「アタル―アタラシ」、ダンプ頁317
阪倉は、上代のあたらしを「すばらしい」と訳せる肯定的な言い方とみる。常に老ゆ・過ぐ・絶つ・荒る・伐る・明くのような喪失を予想する文脈で用いられた。平安時代には理想にたがう事態そのものを「残念だ」「不本意だ」と否定的に言う用法(『源氏物語』明石・総角・御法)が一般化したとみる。
用例の並べ方と方向づけは阪倉の解釈で、同じ屈折を惜し・勿体なしにも認める。
阪倉篤義 2011 提唱
ところが、平安時代になると、理想にたがうもの、あるいは期待に反する事態そのことを、「あたらし」と形容し、あるいは、「あたらし」と叙述する用法も、しだいに一般的になる。
- 文献
- 増補 日本語の語源 書籍/平凡社ライブラリー729
- 立場
- 提唱(その出典が言い出します)
- 箇所
- 第二部6「愛惜の思い」の節「マイナスの事態」、ダンプ頁330–331